快適研究コラム「路傍のちくわ事件」

 アスファルトの歩道に、ちくわが落ちていた。袋に入ったまま…… 一体、なんでこんな大通りに? 気になりつつも忘れかけた頃、こんどはソーセージが落ちていた。

スーパーマーケットに積まれている、おなじみの細長い魚肉ソーセージだ。お店の床だったら、わかる。サービスエリアの駐車場なら、そのいきさつさえ想像してしまえる。東南アジアの道路で屋台のそばに落ちていたら、気にもかけなかっただろう。でも、そこは大阪市内の街なかの歩道だった。酔っ払いが落としたにしては昼間だし……。子どもたちの仕業か、イタズラか……。

秋晴れの午後、バスを待っていると、腰の曲がったおばあちゃんが通りかかった。「く」の字になってよちよちとカートを押す姿に、義母の姿が重なる。圧迫骨折で寝込んでから次々悪くなり、それまでスタスタ歩くことが自慢だったのに、ポツポツとしか歩けなくなった。80歳を過ぎて、私の2倍以上生きてきた両足は、筋肉がすっかり衰えて思うように動いてくれない。初めてシニアカートが家に来た日、義父は「年寄りくさい!」と怒って納戸にしまってしまった。でも普通の動作ができなくなっていく「老い」に、義母は自分の身体を持て余している。いつしかカートは解禁されて、外出の友になっていた。

一方、義母と同い年である祖母は、山登りへプールへと忙しい。卓球の試合中に転んで骨折したあともせっせとリハビリに励み、脅威のスピードで回復した。どうやら自覚年齢が数十年若いまま止まっているらしく、それでも「治りが悪い」と不満そうなのだ。老化に抗う最大の方法は、年のことなど忘れ、毎日身体を動かすことらしい。

買い物に行くのも大変そうだなぁ、と、乗りこんだバスの車窓から見るとはなしに目をやった、その時。シニアカートの上に載っていた、小さくふくらんだレジ袋が揺れ、うどんのような、何か食べ物のような白い小袋が滑り落ちた。街の雑踏で、歩道に落ちた音は耳に届かないのだろう、おばあちゃんは目もくれず押し続けてゆく。

仮に気づいても、しゃがんで拾う、という姿勢はもうできないのだろう。あのちくわとソーセージは、きっとシニアカートからの落し物だったのだ。私が小走りで渡ってきたこの先の信号を、あの速度で、渡りきれるのだろうか。エレベーターの扉が閉まるまでに、乗りこむことはできるのだろうか。エスカレーターや改札口は、ATMの音声は……。街に流れるあらゆる時間が、急に冷たく遠いものに感じてきた。

(了)

※文:真柴マキ(ウエルネスジャーナリスト)/2010年情報誌掲載