読み切りショートストーリー「物差しのカクテル」

商売をしていると、開店と同時に席が埋まって賑わうのが理想だが、なかなかそうはいかない。食事もできるダイニングバーならともかく、ドリンクがメインのバーは「二軒目」として捉えている人が多いので、早い時間帯は空席が目立つ。その一方でバー好きのお客様は、そんな落ち着いた時間帯を好まれる。

「いらっしゃいませ」

その日、最初のお客様は、なじみの常連客ではなく一見の男性だった。見たところ歳は40代半ばか。細いストライプの入ったグレーのスーツを着こなし、さっぱりしたベリーショートで清潔感を漂わせていた。

「お好きなお席へどうぞ」

彼は軽く頷いて店内をぐるりと見渡しつつ、ボトル棚がよく見渡せるカウンター席に腰かけた。

「スマホで検索して見つけて…」
「ありがとうございます」

最近は、一見客がフラリとドアを開けるというのはめずらしい。グルメサイトで検索し、めぼしい店を見つけてから足を運ぶのが大半だ。
店側としては、集客の助けになる場合もあるが、好き勝手な書き込みは「大きなお世話」でもある。とは言いつつも、厳しい評価は真摯に受け止めて改善に努めなければいけないし、良い評価は励みにもなる。閉店後、後片付けを終えてグルメサイトを覗き、一人反省会をするのが日課だ。好意的な書き込みがあると、店では出さない自分用の缶ビールを開けて悦に入る。

※   ※

「お近くですか?」
「この界隈はよく来るんですけど、あんまりお店、知らなくて」
「見つけていただきありがとうございます」

おしぼりやチャームのナッツを供しながらのたわいない会話だが、人当りも良く「仕事が出来そう」な雰囲気を漂わせている。

「ご注文は?」
「ギムレットを」
「かしこまりました」

ギムレットは、ジンをライムジュースで割る古典的なカクテルで、19世紀末ごろイギリス海軍の軍医ギムレット卿が発案したとされている。レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説「長いお別れ」に登場したことで名が知れるようになり、マティーニやマンハッタンと並ぶスタンダードなショートカクテルの一つとして位置づけられている。

ギムレットはシンプルなカクテルだ。だが、シンプルなカクテルだからこそ、バーテンダーの腕前が如術に表れる。自分が客としてバーへ行く場合、初めての店での初めての一杯は、必ずギムレットをオーダーする。ギムレットはバーテンダーの技量をはかる物差しの一つなのだ。

「コーディアルですか?」
「普通はフレッシュを使っていますが、コーディアルでもお好みで」
「じゃぁ、フレッシュで」

これは気を引き締めないと、と思った。
「コーディアル」とは、ギムレットが誕生した1890年ごろのレシピに使われる甘いライムシロップだ。昔ながらの伝統を重んじるオーセンティックバーの中には、正統とされる英・ローズ社のコーディアルを使う店もある。しかし、日本には輸入されていないので、個人輸入をするか、代用としてサントリーやアサヒ、明治屋など市販のライムシロップを使う。でなければ、自家製でライムシロップを作るかだ。

もっとも、最近はドライなカクテルが好まれるとともに、人工的なシロップの香りより生のライムジュースの爽やかさが求められている。そもそも、ライムシロップを使うのは容易に生ライムが手に入らなかった昭和の時代の名残り。今はフレッシュライムを使うのが主流になっている。
そこで「コーディアルですか?」との問いは、かなりのバー好きかカクテル通に違いない。

「ジンのお好みはございますか?」
「うーん、何がありますか?」
「メジャーなものなら…。やっぱり『プリマス』ですか?」

と、さりげなく振ってみた。
「プリマスジン」は、古典のカクテルブック「サヴォイのカクテルブック」にギムレットのレシピに登場するジンだ。ほのかに甘さを感じるジンで、ギムレットにはこのジンを使うのを正統とするバーもある。

「いや、そうだなぁ…。『タンカレー』はありますか?」
「はい、ございます。『ドライ』と『テン』があります」
「じゃ、『ドライ』でドライめに仕上げてください」
「かしこまりました」

「タンカレー」は日本にも古くからあるロンドンジンの銘柄で、今はキリンビールが代理店になっている。「ドライ」はシャープな切れ味が持ち味で、ギムレットはもちろん、マティーニやホワイトレディーといった、それこそドライなカクテルに良く似合う。
一方の「テン」は、「タンカレー・ナンバー・テン」というプレミアムジンで、ジンならでわの味や香りが立体的に広がるので、ストレートやオン・ザ・ロックで楽しみたい。
いずれもアルコール度数が47.3度と高めでだが、ドライなギムレットなら「ドライ」のタンカレーを選択したい。いいチョイスだ。

※   ※

ギムレットには「錐(きり)」という意味もある。シャープなジンに生のライムジュースを合わせたら、それこそ錐で舌を突き刺すような感覚になるので、通常はガムシロップか砂糖を加える。「ドライ」ではなく「ドライめ」というオーダーということもあり、少量のガムシロップを加えることにした。そこに、隠し味としてオレンジビターズを1ダッシュ忍ばせた。

いよいよ、氷とともに材料をシャーカーに入れて振るのだが、もっとも肝心なのがこのシェーキングだ。シェイクする目的は2つ。「材料を混ぜる」ことと「冷やす」こと。
しかし、バーテンダーの中には「ここぞ見せ場」とばかりに大げさに振ってみたり、長々と振ってみたりしがちだ。強すぎるシェイクは氷が砕けて水っぽくなるし、当然長く振っても水っぱくなる。要は「手早く混ぜて冷やす」なのだ。

そう自分では心得ているつもりだが、彼にはどう映っただろう。

「どうぞ」

シェイクしたギムレットをグラスに注ぎ、静かに供した。

「すみません、写真いいですか?」
「どうぞ。構いませんよ」

写真を嫌う店もあるが、私は他のお客様に迷惑が掛からない範囲なら別に問題ないと思っている。SNSで拡散してくれれば多少は店の宣伝にもなるし、「バーはハードルが高い」と感じている人の意識が変わることに期待したい思いもある。

カシャ、カシャ。

彼は、スマートフォンでギムレットに向け何度かシャッターを切った。
そして、いよいよグラスの足を持ち静かに口へ運ぶ。

ゴクッと、彼の喉ぼとけが上下した。
きっと今、彼は私の技量を量っているに違いない。

「いかがですか?」と感想を聞きたいところだったが、ちょうどドアが開き、馴染みのお客様がお見えになられて機を逸した。

氷の入らないショートカクテルは、供された瞬間から温くなって行くので「三口半で飲むもの」とか言われている。強い酒なので実際にそんな早飲みをするのは乱暴だが、冷たいうちには飲んでもらいたい。彼は三口半とは言わないものの、5回ほど口に運んで飲み終えたようだ。

「すみません」
「はい」

常連様に「いつもの」を供しているところで彼に呼ばれた。再び緊張が走る。

「同じものを」

彼は、穏やかに微笑みながらそう言った。

※   ※

店を閉めたあと、グルメサイトで自分の店をチェックしてみると、新たな写真とコメントが投稿されていた。

プシュッ。
ガランとした店内に缶ビールの栓を開ける音が広がった。

(了)

 ※( 文 / 福 信行 ) ※2011年掲載