クリエイティブには「社会的責務」がある、はずが…(後編)

その案件はありがたくも、
コンペに参加しても受注することのない
名の知れた組織からの発注であった。
でも最初に会議室で感じたのは喜びではなく、
居場所がないような違和感、大いなる威圧感だった。

最初の違和感は的中し、だんだんかみあわなくなり
誰からも笑顔が消えていった。
信頼関係が、築けない。
肩書を外したらとても付き合えない。
いい仕事ができるはずがない。

「気が乗らない」は、魂の叫びなのだ。
ある日、会議室で罵倒されて帰社すると、
しばらく疎遠になっていた美大の友人から
由布院のクラフトビールが届いていた。
商談中に試飲をしたら、
一緒に旅をして大笑いした夜を思い出して
会いたくなったから、という。

老舗の百貨店で接客業に携わるその友人は
「客の8割はエラそうだし嫌な人だ」と笑うが
エラそうにされると、誰かにエラそうにしたくなる。
嫌な人といると、嫌な人になってくる。
人はバランスと循環の生き物なのだ。
ならば、2割の「いい人」と一緒にいたいし、
自分もいい人でいたい。

ひからびた枯れ枯れの細胞に、
点滴のようにほろ苦いビールが染みていく。
今日の続きは、もう無理だ。
明日が今日の続きなら、今日を変えるしかない。
乾杯しながらルールを決めた。

威圧的な人には、関わらないことにしよう。
好きな商品、好きな企業、
いい人たちのお役に立ちたい。
社会的責務をもって手掛け、
愛情たっぷりに世に送り出そう。


心の中でこっそりと、
一年やってみて駄目なら、
クリエイティブの仕事は卒業しよう。と付け足した。

その「一年」が二年になり、数年が過ぎ、
今では、あの案件にようやく時々感謝することがある。
今こうして存在しているのは、
あの事件があってこそ…でもあるの。

そして当時、激しく落ち込んだあの経験こそ、
「パワーハラスメント」というらしい。
思えばほかにも数々のパワハラを経験してきたが、
悩んではいけない。
パワハラもセクハラも、した方は習慣で、
つまりとうに忘れているのだ。
相手にすることはない、と
土の中に埋めて肥やしにすることにした。

今という未来のきっかけになった、
戻りたくない過去。
それを「転機」というのかもしれない。

※(文/ 真柴 マキ)