ディレクションなき取材依頼「とりあえず取材してきて」、あの筋肉は裏切らない

ライティングやデザインを請負う仕事では、
最初にディレクションされたラフに沿って
作っていくのが主流である。
でもなぜか取材執筆を始めた関西では、
「とりあえず、行ってきて」というオーダーが多かった。

企画は通って、取材先も決まった。
で、まずは取材へ、というロケハン的な
イレギュラーなオーダーが、レギュラーの大半を占めていた。

取材とは、つまりは会話である。会話とは瞬発力と発見である。
ディレクション通りに取材して書くと「聞いて書く」というより
「書けと言われて書いた中身の裏取りと確認に行く」流れ作業になる。
そこには発見も瞬発力もない。
先の展開がわかった進行なんて台本のあるバラエティ番組みたいだし、
想定通りの展開を文章にしたって、面白くもなんともない。
その点「とりあえず行ってきて方式」は、
「発見に行く」面白さがあって、意外に肌に合った。
脱線しつつ発展していく「思わぬ会話」が面白いのだ。

ただこの「とりあえず取材してきて」方式、
予測不能なので、何が起こるかわからない。
手間暇と時間がかかる上に、
チームの人数が増えると進行がむずかしくなる。
誰かに発注するにも、よほど相手を注意して選ばなければ失敗する。
流れ作業が身に付いた職業ライターやカメラマンに
うっかり発注して、キレられたこともあった。


必然的にだんだん少数精鋭になり、
いつしかじわじわとついた筋力が、
のちに、旅のルポルタージュ連載で
思わぬ力を発揮することになる。

行先と日程、宿泊先以外はほぼ決めず、
出会った方と会話して、また人に出会う。
行き当たりばったり式の取材こそまさに「旅」で、
出会ったものを編集しながら旅をしていた。

振り返ると、なんといっても理解があって、
息の合ったクライアントに恵まれた故の旅レポだった。
でも、見たもの聞いたものを「自分の言葉で」読者に伝えたい、
という想いがみんな強かった。

「仕事だから創っている」それはそうなのだけれど、
機械的に作ったものは、バレる。
創り手の気持ちが乗ったものは、
必ず伝わると思うのだ。

 ※(文 / 真柴 マキ )