背景よ、邪魔をするな! エキストラと役者の「動き」の違い

ドラマを観ていて、ときどきムムっとくる時がある。エキストラが動きすぎて目ざわりなのだ。役者の動きには理由がある。ため息をつくのも笑うのも、頭をかくのも、あらゆる動きに理由がある。電車の中やホームを見渡してみても、意味もなくそわそわと動いている大人などいないはずだ。せいぜいスマホを触っているか、たいていは「ボーっと止まっている」か「ただ歩いている」。それなのに、エキストラだけが、意味もなく動きすぎなのである。エキストラは「その他大勢」であり、人でありながら役割は「背景の一部」である。背景は目立ってはいけない。

以前、あるテレビドラマの撮影現場でエキストラを体験したときのこと。昭和初期の設定で、駅のホームを行き交う乗客の「役」だった。集められたエキストラの数は100人ほどいただろうか。全員、当時の髪型や衣装に扮して、ロケ現場の一角で待機していた。
見ていると、役者志望か売れないモデルか、自意識過剰系の人種がチラホラ紛れている。タレント気取りのギョーカイ臭を出す人は、素人でも目立つ。というか、待機しているだけなのに、明らかに存在が浮いている。

さて出番がきた。カメラや照明が決まり、駅のホームに本物の役者が登場し、エキストラが配される。何度もリハーサルを重ねて動きを確認するのだが、くだんの人たちは、訳もなくどこかを指さしたり、荷物を持ち換えてみたり、無用な笑顔を浮かべてみたりと、何かと小芝居を始める。テレビに映りたくて、「ドラマに出演した」と自慢したい気持ちが出すぎるのだろう。
だが、動きすぎる背景は邪魔でしかない。いよいよ本番スタート。が、間もなく「カット!」と監督が中断。助監督が走り寄って、動きすぎるエキストラに「ご苦労さま、ありがとうございました」と降板を告げていた。

 ※( 文 / 福 信行 )